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よい家庭とはまず健康
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好みの違いは大きな問題
よい家庭とはまず健康
さて、次にこの「よい家庭」ということについて、評論家として若い人々に人気の堀秀彦氏に伺ってみました。よい家庭とはどんな家庭をいうのか、というのはたいへん答えにくいこと。いろいろなことが考えられましょうが、まず健康ということをあげたいと思います。健康、体がじょうぶだということ。
体が弱いとか、病人がいるとかいう場合には、そうしたものをカバーするよい条件がほかにないと、その家庭をよい家庭ということはできないでしょう。家族みんなが、よい健康状態を保つこと。これを、よい家庭のまず一第一にあげたいもの。健康であることから、食欲が出るようになります。
家庭で食べるご飯が、みんなおいしく食べられるような、料理屋で食べるご飯より、家庭で食べるご飯のほうが、おいしく食べられるような、そんな家庭がよい家庭といえるのではないかと思います。この食事のときというのは、また家庭内のだんらんのとき。
食事を一週間に一回しかしなくてよい人間というのは考えられないし、食べ物は家庭と切り離しで考えることはできません。この点からも、自分の家の食卓をじゅうぶん楽しめる家庭が、よい家庭ということができましょう。
キミとボクとは、昔、一つ釜のメシを食った仲じゃないか。こんなことばを聞くことがあります。一つ釜のメシを食うというのは、仲間意識とか、親しさの深度を計る一つの基準になるように使われているらしい。一つの釜のメシを食った、生活をともにしたという意識は、非常に根深くお互いの気持を結びつけるようです。
こうしたことを考えてみても、少なくとも戦前までの日本の家庭の食事のやり方はよくなかったといえます。たとえば、農村では、嫁は家族の食事がすんでから、はじめてハシをとったり、また一家の主人の膳の上にだけ、尾頭つきの魚がのっていたり、ということ。こんな不平等な食事のしかたではなくて、みんなが食事を楽しみにするような家庭。そんな家庭が「よい家庭」とよべるもの。そのためには、家族がお互いに別々の時間に食事をするのはなるべく避けて、夫や妻、子どもがみんな自分の家の食事をたいせつにする考え方を育ててゆきたいのです。
食卓の好みの違いは大きな問題
お互いに理解し合っているとか、愛し合っているから、とかいっても、なかなか実際にはうまくゆかないのが、この食事について。たとえば夫の偏食とか、夫と妻との食べ物の好ききらいが違うとかのこと。新婚当座こそ、どちらかが好意をもって妥協しているので、うまくゆきますが、そのうちだんだんとお互いに地金が出てきて、一もんちゃくのタネになりましょう。こんな話があります。
ある平凡なサラリーマン。子どもこそないが、もう結婚してから一〇年あまりにもなります。夫の母親がときどきこの家庭へやってくるのですが、そのときに、母親は嫁の作った料理のほかに、自分でも料理を作って息子に食べさせるのです。この母親のこしらえた料理をほめて食べないと、家の中がうまくゆかないというわけ。こうした例を考えてみても、この食物の問題は、愛情だけではうまくゆかないように思われます。
この話にしても、母親はもちろん息子を愛しているのだし、嫁もその夫を愛しているわけですが、それだけでは食卓の上での好みは一致しなかったわけです。食事については、ふつう、栄養価がなければとか、それに伴う家事労働がどうだとか、そういった面だけから考えられがちなのですが、ご飯はただ栄養だけを問題にするのではなくて、それを作るのがめんどうであっても、よい家庭を築くということからは、楽しんで食べられるものにしてほしいと思うのです。
子どもは油っこいものが好き。夫はさらっとした酢の物を食べたがる。こうなっては、妻は神経を使い、頭の痛いことです。しかし、家庭というのは考えてみると、セックス、肉体の面と、衣食住に分けることができましょう。その衣食住で、衣と住にくらべると、食はより実際的だという意味で、大きな影響カ、大きな役目をもっているといえないでしょうか。
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